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国宝!松江城の価値とは

 松江城は平山城で、天守がある本丸の周辺に二之丸、二之丸下ノ段、後曲輪がめぐり、南には堀を挟んで三之丸がある。
 城全体の構えは東側を正面とするが、天守自体は南向きとなっている。天守は、彦根城・犬山城と同じように附櫓を設けた複合式望楼型で、一、二重目は大入母屋屋根で全面下見板張り、望楼部と附櫓も一部白漆喰であるが窓廻りの木部は全て黒塗りで、黒を基調とした天守である。
 全国に現存する12天守の一つで、天守の平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは5番目である(国宝・重要文化財建造物目録/文化庁編)。昭和10年に国宝に指定され、昭和25年には文化財保護法の制定により重要文化財と改称されたが、平成27年7月8日、国宝に再指定された。
 明治の初め、全国の城はほとんど取り壊されたが、松江城天守は地元の豪農 勝部本右衛門、旧松江藩士 高城権八ら有志の奔走によって山陰で唯一保存され、松江のシンボルとして親しまれている。

 

構造上の特徴

2階分を貫く通し柱を効果的に配置するとともに、上層の重さを分散させながら下層に伝える構造となっている。長大な柱を用いることなく、上層になるほど平面が縮小する天守という独特な構造の建築を可能にしたものである。

松江城の構造を表した東西、南北の断面図

「富」の文字が入った分銅紋の刻印のある部材

「富」の文字が入った分銅紋の刻印のある部材の写真

昭和の解体修理工事(昭和25~30年)で取り外され、天守地階に保存してある部材の木口に、松江藩初代藩主堀尾家の家紋・分銅紋に「富」の文字が入った刻印があることが確認された。
松江城築城には、広瀬の月山富田城の部材を一部転用したとの伝承があることから、この刻印はそれを裏付ける貴重な資料のひとつと考えられている。(地階に展示中)

包板(つつみいた)

包板(つつみいた)の写真

天守を支える柱には、一面だけ、あるいは二面、三面、四面に板を張って、鎹や鉄輪で留められているものがある。これは「包板(つつみいた)」と呼ばれ、天守にある総数308本の柱のうち130本に施してあったもので、割れ隠しなど不良材の体裁を整えるためのものと考えられている。

石落とし・狭間

石落とし・狭間の写真

天守に近づく敵に石を落して攻撃するための石落としや、鉄砲で攻撃するための鉄砲狭間がある。いずれも外部からは発見しにくい構造になっている。

附櫓(つけやぐら)

附櫓(つけやぐら)の写真

天守入口の防備をかたくするためにとり付けた櫓で、入口に鉄延板張りの大戸があり、入ると桝形の小広場が二段あって、侵入しにくいようになっている。

 

櫓3棟復元

かつて二之丸には、御門・東の櫓・太鼓櫓・中櫓・南櫓・御月見櫓があった。このうち、太鼓を打って時刻を知らせる太鼓櫓と御具足蔵と呼ばれた中櫓、南東方向を監視するための2階建ての南櫓の3棟の櫓は、平成13年に約125年ぶり(明治8年取壊し)に復元された。

松江城の構造を表した東西、南北の断面図