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佐陀神能 (さだしんのう)

 

鹿島町の佐太神社の祭礼の一つに、9 月 24 日の夜の御座替 (ござがえ) 神事がある。その当日から翌日にかけて行われるのが佐陀神能で、今日、その内容は、面をつけない直面 (ひためん) の執物舞 (とりものまい) による「七座」と、祝言としての「式三番」、着面 (ちゃくめん) の神話劇の「神能」の 3 部からなる。

この 3 部構成の舞を佐陀神能と呼ぶようになったのは、氏子有志による佐陀神能保存会が発足した大正年間からである。

七座は、神事ないし祭礼そのものであるため、御座替神事の夜に行われ、式三番、神能は祭礼後の法楽 (ほうらく) としてつくられたもので、御座替神事の翌日に行われる。神能は、慶長年間 (1596〜1615 年) のころ、当社の幣主祝 (へいぬしはふり) 宮川兵部少輔秀行が、京都で能楽の所作を学んで帰り、つくりあげたと伝えられている。

七座の方は、それ以前に発生したといわれている。

ともに、藩政時代には佐太神社の触下 (ふれした) 三郡半、つまり、島根、秋鹿、楯縫の 3 郡と意宇郡西部の神主、巫女の奉仕によって行うのがならわしであったが、明治維新になり、近世以来の触下制度がなくなり、また神職の演舞禁止令で、従来の神職による奉仕ができなくなって、氏子の手に移され継承されたのである。そして、神能とのみ呼ばれていたのが、佐陀神能の名称がつけられ、七座、式三番、神能の 3 部構成が形づくられた。

3 部のうち、神能はその構成が、シテ、ワキ、ツレ、トモの役立ちになり、台詞の間を謡 (うたい) でつなぎ、お囃子として笛、小鼓、大鼓 (おおつずみ)、太鼓を主として、全くの能形式をとっており、この地域独特のものであることから出雲神楽の源流といわれている。

佐陀神能は年を経るに従って興隆し、その知名度も高まり、昭和 51 年 (1976) 5 月には国の重要無形文化財の指定を受け、平成 23 年 11 月にはユネスコの無形文化遺産へ登録されました。

「島根観光辞典 (島根県観光連盟発刊) より引用」
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