トップ →  松江を知ろう →  歴史 →  神話・伝説 →  大江美人悲話

大江美人悲話

page4__001.jpg  京都に足利将軍の御殿があった室町時代の頃の話しである。

 
 上意東のだいご大江の里に一人の女の子が生まれた。色の白いその子は成長するに従って輝くような美しさになり、誰いうとなく大江美人と呼ばれ村中の評判になった。 娘は年頃になり近くの里から婿を迎えた。二人の中は大変睦まじくいつも一緒にいたいと思う二人であったが、昼間は男はきこりや田畑の外仕事、女は家の中で裁縫や機織りが仕事だったので、そんな訳にはいかなかった。


 男はいろいろ思案した末、町の絵師に妻の姿絵を入念に描いてもらいそれを掛軸に仕立てた。男はそれを竹の先に吊るし、林でも田畑でも自分が仕事をする傍らに立て、妻と一緒に居るつもりで働いた。

 ある日、例によって絵姿を立てて畑を耕していると、突然西の方から大風が吹いてきて、アッという間に掛軸が空に舞い上がった。男はあわてて掛軸を追いかけたが、見る見るうちに東の山の向こうへ飛んでいってしまった。 

 それから幾日かたったある日、京都の将軍家の庭にこの掛軸が舞い落ちた。時の将軍はこの美人の絵姿を見て「何処かにこの美人がいるにちがいない。西の国々を探して必ず連れて参れ」と命じた。そして出雲国の上意東大江の里でこの美人の若妻を見つけ、無理に京都へ連れていき将軍に差し出した。将軍はその女を御殿に留めて奉公させ、とうとう上意東へ返さなかった。

 愛する妻を京都へ連れ去られた男は悲しい日々を送っていたが、京都からのうわさで「5月5日の端午の節句の日だけは、菖蒲売りが将軍家の庭に入ることが許される」という話を聞いた。別れた妻に一目でも会いたいと思っていた男は、大急ぎで近くの池の菖蒲を刈り野越え山越え京都への道を歩き続けた。

 しかし出雲国からは長い道程だったので、男が京都へ着いたのは節句の翌日の5月6日であった。御殿の庭へ入られぬ男は塀の外から「菖蒲や菖蒲」と悲しい声で呼び歩いた。御殿の人々は「これは妙だ。6日の菖蒲売りが来た」と嘲り笑ったが、その声が1日も忘れたことのない夫の声だと気付いた女は、こっそり塀の外へ出て男と会うことが出来た。

 その晩、御殿を抜け出した女と男は、昼は木陰谷間に隠れ、日が暮れると歩き続けて長い道を逃げ切り、ある朝やっと懐かしい意東川のほとりに辿り着いた。南を望むと生まれ故郷の上意東の山々が見えたので、女は張り詰めた気がゆるんだのかバッタリと倒れて死んでしまった。男は泣き泣きそこへ穴を掘り女を葬ってやった。

 こののち、意東の人達はこの話しを語り継ぎ、この美人塚に花や線香を供えて薄命であった大江美人の冥福を祈るようになった。

トップ →  松江を知ろう →  歴史 →  神話・伝説 →  大江美人悲話