出雲守護京極高氏の孫秀益が城を築いて宍道八郎と号してより約120~130年間(応仁年中より天正年間まで)、 この地方で勢威を誇った歴代宍道氏の本拠でありました。 山頂からは展望が開けており宍道湖及び北山一帯の連山は手に取るがごとく、またその支城といわれる宍道要害山、 佐々布要害山は指呼の間にあり、また当城の本城であった鳶ヶ巣城と遥かに呼応した戦略上絶好の位置にありました。